その日が来るまで生きる

 3月3日 ひなまつり

今はもうない場所のおひなさま








私のひな人形は実家にあります。

何年か前に、内裏雛を残して母の手により片づけられました。


祖父が買ってくれたものでした。


私は、祖父にとって十数人目の孫で
一緒に住んでなかったしそんなにかわいがられた記憶はないのですが
私が生まれたという知らせを聞いた祖父が
玄関で泣き崩れて喜んだ…

という話を聞いたのは私がかなり大人になってからの事でした。


祖父は私が中学生の頃に他界しましたので
本当に長い間、そのことを知らずに来たことが残念でなりませんでした。

子どもが無事に成長することを願う

そんな気持ちは時代や場所が変わっても
永遠に変わることは無いでしょう。

誰の世話にもならずに成長できることってあり得ないですし。


誰かが乳を与え、
保護してくれたからこそ赤子から成長して現在がある。

何のためにい生きているんだろう

そんな風に思ったこともあるけれど

看護師として命のやり取りの場面を何度も目にするうちに
「生かされている」と思うようになりました。


山を越えた
もう大丈夫

そう思った命がふいに消えてしまう。


もうだめかもしれない

そう思った命がよみがえる。


絶対、なんてありえない世界。


時が来れば必ず旅立つ日はやってくる。


その日はわからないけれど
その日まで生きる。



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