続・モノが多すぎる家、どこから片づけた?

前回の続きです。

亡くなった義父が、葬儀会場に行く前に自宅に戻ることになり
大慌てで一部屋あけました。


どのようにやったかというと。

いわゆるブルドーザー方式です。

カラーボックス、段ボール、新聞雑誌、薬の袋
健康食品の箱、長椅子、テーブル…諸々の大物小物類。

隣の部屋にガーッと移動!
とりあえずスペースを作ることに集中しました。

もう、何も考えず
亡義父が出棺までの間過ごすスペースを作りました。

葬儀は斎場で。

出棺後、ガラ~ンとした部屋。
モノが詰まった家の中でこの部屋だけが異空間のようでした。

その後、この部屋を拠点に義実家の片付けが始まりました。

休憩、モノの仕分け、大事な物の一時置き場として
大きな役割を果たすことになりました。

このスペースが無かったら…

身動き取れず、片づけにもっと時間がかかっていたことでしょう。

モノが多すぎる家、どこから片づけた?

義実家の片づけを始めたのは2000年の春。

義父が一人で住んでいました。

庭にも家の中にも物が多くて…
時々夫が片づけに行っていたようですが、
「お前が来ると物が無くなる」
と言われ、次に行ったときは前以上にモノが増えている、という状態だったそうです。

そんな状態のまま、緊急入院後帰らぬ人となったのですが。

退院するとき、葬儀会場へ行く前に自宅に戻ることに。



悲しみに浸る余韻などなく、とりあえず!!!!!

本当にとりあえず一部屋あけました。

玄関からその部屋への通り道を確保し。

弔問客にお茶を出すために
急須や湯呑を探して、漂白して洗ってお湯を沸かせる準備をして…

この時初めて台所に入りました。

どこに何があるかわからない状態でのこの状況はかなりキツカッタ…

誰がご近所で
誰が身内なのか顔もわからない状態

義実家周辺の地理もさっぱりわかりません。

コンビニがどこにあるかすらわからなかった。

でも、義父が家に戻ってこなかったら
もっと大変なことになっていたような気がします。

数年後の未来を思い浮かべるのは難しい方へ

数年後、どんなふうになっていたいか…
なかなか浮かばない、という方や
年齢的に先の希望が描きにくいわ~、という方は
ちょっと発想を変えて

どんな人だった

と言われたいですか?

優しい人だったね
きちんとしてたね
ホントに頑固で苦労したけど、憎めない人だったね

などなど…



私は

あっぱれな婆さんだったね

と言われたい。


これは実家にかなり昔から置いてある博多人形。
小倉祇園太鼓を叩いている人形です。
本文とは特に関係ありませんm(__)m


家とお墓ときっちり始末して
後始末する人が驚くくらいに家を整えてからこの世を去ろうと思っています(笑)

理想はトランク一つ分くらいの私物。
軽やかに旅立ちたいと思います。


人間、いつ何があるかわかりません。

見られたくないモノ、
伝えたいモノなどは「自分で」整理しておきたいな…
と思うのです。

義実家を片付けていてホントにそう思う。
ほぼ見ず知らずの私に
こんなプライベートなところまで見られて
モノを処分されて…

私自身、抵抗がありましたから…(-。-;)

随分前に実家でこの話をしたら
即!!!
母が片付けを始めました(笑)

自分ではちょっと難しいかな…
という方はぜひご相談くださいね。

ちょっと先の事を意識してモノと向き合うと
今の生活の質もぐっと上がりますよ(o^-')b

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