【お盆になると思い出す、父の故郷の夏】浴衣と盆踊り、そして伯父と伯母の記憶

 お盆になると、ふと思い出す夏があります。

子どもの頃のお盆は、父の生家で過ごすのが恒例でした。

今思えば、私にとって「夏休み」といえば、
父の故郷で過ごした時間だったのかもしれません。





浴衣を着て、盆踊りへ

伯母に浴衣を着せてもらって、盆踊りへ。

夜空に上がる花火を眺めたり、親戚や近所の子どもたちと遊んだり。

昼間は外で遊んで、真っ黒に日焼けしていました。


今のように、子どもの日焼けを気にする時代でもありません。

暑い中を走り回って、汗をかいて、夜になると盆踊り。

そんな夏が、私の大切な思い出として残っています。

大人になってから振り返ると、
何でもないような一日一日が、実はとても贅沢な時間だったのだなと思います。


部屋に飾られていた一枚の写真

父の生家で寝泊まりしていた部屋には、一枚の写真が飾られていました。

軍服を着た男性の写真。

どこかのジャングルのような場所で撮られた写真だったと記憶しています。

子どもの私は、その写真を見るたびに、

「この人はどんな人なんだろう?」

と思っていました。

そこで父に聞いてみたのです。

「この人、どんな人だったの?」

すると父は、

「よく怒られてたから、怖かった」

と(笑)

その人は、父の兄。

私にとっては伯父にあたる人でした。


長兄だった伯父

父とは年の離れた兄弟だったため、
子どもの頃の父は、いたずらなどをすると
長兄である伯父から叱られることが多かったそうです。

だから父にとっては、

「怖かった兄」

だったのでしょう。

でも、私が知っているのは、写真の中の伯父だけ。

軍服姿で、どこか遠くの場所に立っている。

どんな声だったのか。

どんな話し方をしたのか。

どんな人だったのか。

今となっては、私にはわかりません。

それでも、その写真だけは子どもの頃の記憶として残っています。


伯母も、伯父のもとへ

その伯父は、海で戦死したと言われていますが遺骨は戻ってきていません。

そして、私に浴衣を着せてくれた伯母も、

昨年、伯父のもとへ旅立ちました。

3年前に見た印象的な夢
送り盆の朝


最期まで明るく可愛らしい伯母でした。

子どもの頃の私に浴衣を着せてくれた人。

夏の夜、盆踊りや花火を一緒に見た人。

そんな伯母も、もういません。

姉妹のように過ごした伯母の孫も早くに他界しました。

思い出すと、少し寂しくなります。

でも、思い出は不思議です。


人がいなくなっても、
その人と過ごした時間までなくなるわけではありません。


浴衣を着せてもらったこと。

盆踊りに行ったこと。

親戚の子どもたちと遊んだこと。

真っ黒に日焼けした夏。

そういう一つ一つの記憶の中に、伯母は今もいます。


お盆は、過去と今がつながる時間

お盆になると、ご先祖さまや亡くなった家族を思い出します。

仏壇に手を合わせたり、お墓参りをしたり。

昔の写真を見返したり。

「あの頃は、こんなことがあったな」と思い出したり。


そうやって記憶をたどることで、

今の自分がどこからつながってきたのかを感じることがあります。


私が子どもの頃に過ごした父の生家も、ずいぶん変わりました。

あの部屋も、あの写真が飾られていた場所も、昔のままではないでしょう。

それでも、私の中には残っています。


あの夏の私へ

お盆になると、あの頃の自分を思い出します。

浴衣を着せてもらって、盆踊りに行って。

花火を見て。

親戚の子どもたちと遊んで。

真っ黒に日焼けしていた私。

あの頃は、それが当たり前の夏だと思っていました。


でも今振り返ると、たくさんの人に囲まれて過ごした、かけがえのない時間でした。

そして、その時間を作ってくれた人たちは、少しずつこの世を旅立っています。

だからこそ、お盆は「亡くなった人を思う日」であると同時に、

今ここにいる人との時間も、大切にしたいと思う日

なのかもしれません。


今年のお盆も、懐かしい人たちを思い出しながら過ごしたいと思います。


そして心の中で、

「浴衣を着せてくれて、ありがとう」

「一緒に夏を過ごしてくれて、ありがとう」

そう伝えてみようと思います。

【夏の不思議な出来事】お盆にトンボがやってきた。故人の魂を運んできたのかな?

 

お盆にトンボがやってきた


「蝶や昆虫は、故人の魂を運んでくる」

そんな話を聞いたことはありませんか?


本当にそうなのか。

それとも、昔から伝わる言い伝えなのか。


科学的に確かめられることではありませんが、私はこういう話、嫌いではありません。


特にお盆の時期になると、

「もしかしたら、会いたい人が帰ってきてくれたのかな」

そんなふうに感じることがあります。






今年のお盆も、我が家でちょっと不思議な出来事がありました。


お盆の朝、トンボがやってきた

今年の迎え盆の朝。

家の中で過ごしていると、大きなトンボが網戸にぶつかってきました。


「ずいぶん大きなトンボだなあ」

最初はそんなふうに思っただけ。


でも、その次の瞬間、

「帰ってきたのかな?」

ふと、そんな言葉が浮かびました。


迎え盆ですから。


お盆には、ご先祖さまや亡くなった家族が帰ってくると考える風習があります。


だからでしょうか。

そのトンボを見た瞬間に、もう会うことのできない大切な人のことを思い出しました。


本当に故人の魂がトンボになって帰ってきたのか。

もちろん、私にはわかりません。


でも、

「帰ってきてくれたのかもしれない」

そう思えたことが、なんだか嬉しかったのです。



蝶やトンボを見ると、故人を思い出す

蝶やトンボなどの生き物を、故人からのメッセージのように感じる人もいるようです。

こうした捉え方には、地域や家庭によってさまざまな言い伝えがあります。

私は、それを「本当ですよ」と断言したいわけではありません。


でも、亡くなった人を思い出すきっかけになるのなら、それも素敵なことだと思っています。

人は、亡くなったらすべてがなくなるわけではありません。


一緒に過ごした時間。

かけてもらった言葉。

教えてもらったこと。

その人から受け取ったものは、今も自分の中に残っています。

そして時々、何気ない出来事をきっかけに、その人のことを思い出す。

それだけでも、なんだか「つながっている」ような気持ちになるのです。



実は、以前にも不思議な出来事がありました

お盆の時期になると、我が家では時々、不思議だなと思うような出来事があります。


昨年も…
昨年の出来事は↓↓↓

お盆に響いた鈴の音と、舞い込んだアゲハチョウ──季節の移ろいと不思議な出来事


今回のトンボのことも含め、今年のお盆に起きたことを

日記代わりにnoteに綴りました。


その中で、

「もしかしたら、会いたかった人が帰ってきてくれたのかもしれない」

そんな気持ちになった瞬間についても書いています。


よかったら、こちらも読んでみてください。

『支えてくれている人、心に残っている人』

noteの記事を読む|支えてくれている人、心に残っている人


不思議な出来事は、心を立ち止まらせてくれる

毎日を忙しく過ごしていると、亡くなった人のことをゆっくり思い出す時間も少なくなります。

でも、お盆になると少し違います。

仏壇に手を合わせたり、お墓参りをしたり。

昔の写真を見たり。

「そういえば、あの人はこんなことを言っていたな」

と思い出したり。


そうやって過去を振り返る時間は、

今を生きている私たちにとっても大切なのかもしれません。


今年も無事にお盆を迎えられたこと。

そして、今そばにいてくれる家族と穏やかに過ごせていること。

そんな当たり前のような毎日に、改めて感謝したいと思います。


トンボが故人の魂を運んできたのかどうかは、私にはわかりません。

でも、あの日トンボを見て、私は大切な人たちを思い出しました。


今年のお盆も、

「帰ってきてくれて、ありがとう」

そんな気持ちで過ごしています。

【10年前の手帳を開いて驚いたこと】50代になって気づいた「書くこと」の力

 来年の手帳を考え始める「手帳会議」の季節。

そんなタイミングで、本棚を整理していたら2012年の手帳が出てきました。

ページを開いてみると、そこには10年前の私が書いた目標が…。




「10年後にはこうなっていたい。」

そんな思いで書いたことを、一つずつ見返してみました。

すると驚いたことに、

3分の2は実現していたのです。


もちろん全部ではありません。

ライフオーガナイザーとして活動するという目標は、途中で方向転換しました。


でも、それは「あきらめた」のではなく、

もっと自分らしい道に出会えたから。


今は「快適なおうち介護環境を作る専門家」
→ 「親を想うご家族のかかりつけ看護師」として活動しています。

10年前の私は、この未来を想像していなかったでしょう。

でも、「誰かの暮らしをより良くしたい」という想いは、

ずっと変わっていませんでした。



一番伝えたいこと

私は、

手帳に願いを書いたから夢が叶った

とは思っていません。


でも、

手帳に書いたことで、

何度もそのページを開き、

何度も思い出し、

少しずつ行動を積み重ねてきました。


その積み重ねが、

10年後の今日につながっていたのだと思います。



今だから思うこと

50代も終わりに近づき、

私が手帳に書く内容も変わってきました。


予定だけではなく、

暮らしのこと。

庭のこと。

家族のこと。

健康のこと。


そして、

「今日もいい一日だった」

と思えた出来事。


そんな毎日も残したくなりました。


だから2027年は、

十数年ぶりに、ほぼ日手帳へ戻ろうかと考えています。



10年前の私は、

今の私を想像できなかったと思います。


でも、

あの頃の私が手帳に書いてくれたから、

今の私があります。


来年の手帳には、

10年後の私へ、

どんな言葉を書こう。


そんなことを考える時間も、

手帳の楽しみのひとつです。

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